現在主流の「心の哲学」の嘘を暴く!! 主体と世界



 心と存在


「心の哲学」の嘘を暴く!!


 




主体と世界



人間は、誰かとつながっていないと生きていけない

と言われますが、なぜでしょうか?


それは、自分という存在は

誰かに「補完」されて、はじめて確立しうるからです



誰かが、自分という人間の「本質」や「考え方」や

「生き様」を知っていてくれる 理解してくれている

という認識があって


自分は、存在としての価値を、見い出しうるのです



そして、自分もまた同じように

誰かを「補完」し


互いに「補完」しあうことで

≪幸福≫とか、≪愛≫とか いった状況や関係を

創造したり、維持したりしていると言えるのです





さて、そこでおもしろいのが


自己の確立=自己の存在根拠の確立=

アイデンティティーの確立=

他者との区別・差別化 であるのに対し


自己の確立=他者に「補完」を求める


という矛盾があるということです




そして、優秀な人や目的意識の高い人ほど

区別・差別化が強いのです


ところが、それを理解しうるレベルの人

補完しうるレベル人が、なかなかいません



そこに「主体」が主体たるべき

1つの大きな矛盾が、存在しているのです





そもそも自分の存在の根拠は

差別化にあるのですから、他者のそれも同じです


だから、他者があなたのことを

完璧に補完してくれるなんてことはありません




では、あなたを教祖のように崇める他者がいたとしましょう

あなたはそれで完璧に補完されていることになるのでしょうか?



なりませんよね



質の高い人ほど、他者を言葉の世界にひきずり込み

熱狂的、陶酔的な崇拝を受けることを嫌うものです



このようなことから

質の高い人間への道を求めれば求めるほど

他者に「補完」を求める主体との

距離が、大きくなっていくのです





但し、心理学によると

そうした人にとっては

万人による「補完」でも補完にならない代わりに


たった一人であっても

自分のレベルに近い真の理解者であるなら

「補完」になるといいます




ちなみに、レベルの高い人というのは本質的に

「お金」や「力」を求めているのではないということです



他者が、お金によってしか人を判断できないから

必然的にそうしているというだけであったり


また、お金のある人がつくったルールにおいて

お金に支配される お金に縛られる

そんな不条理にあらがっているだけであったり


また、何かをし遂げる 何かを変えていく

とかいった大きな目標のために

「お金」や「力」を求めているだけであったりするものです






結論をいうと



創価学会の新聞を毎日新聞が印刷している世の中

言論の自由なんて「嘘」の世の中…



肉を食べれば、家畜の飼料として穀物が多く必要となり

飢餓が増えることを知りつつも毎日、肉を食べ

多くの人を殺している私たち…


これは、家畜を食べているというのではなく

我々先進諸国の人間が肉食獣として

草食獣の発展途上国の人間を食べているのと同じです



それにコンビニのお弁当を食べるたびに

分解しにくいプラスチックを廃棄し

地球すら破壊しようとしている私たち・・・

全てのことが「お金」の世の中…



そんな上に私たちは

「人権」だとか「尊厳」だとか「正義」だとかいった

バーチャルな世界、言葉の世界をつくり上げ

その上にのっかって生活しているのです



つまりゲームの世界だけでなく

現実と信じている私たちの世界そのものがバーチャル

仮想現実の上にのっかった現実なのです




このように、人間の世界とは

≪言葉によって組み立てられたバーチャルな世界である≫

なわけですが



我々は、その上にのっかって価値生活しつつ

心が、存在しない完全なる自己や主体を追い求め続ける

ということなのです




【 究極の問い解答 編 】

コウモリの視点




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