現在主流の「心の哲学」の嘘を暴く!! 最初の心を考える



 心と存在


「心の哲学」の嘘を暴く!!


 




最初の心を考える



ドイツの大哲学者といえば

カント(1724~1804)と、ヘーゲル(1770~1831)ですが


ヘーゲル(1770~1831)は

≪現象世界の全ては、絶対精神(宇宙精神)の自己表現≫

≪歴史はその絶対精神が

自己(絶対精神自身)を認識する過程である≫

なんていう宗教とあまり変わらない考えに陥ってしまいました



しかし、見方を変えると

ヘーゲルの思考は

仏性のような「良心」を根拠とした道徳論と

科学もどきの認識論

のようなことしか出てこなかったカントのそれよりも

面白いといえるのかもしれません




さて、科学者たちは

アミノ酸やミネラルなど

生命に必要な物質を全て含む原始の海(原始スープ)を再現し


そこに放射線や電磁波を照射して

生命を誕生させようと試みてきたようですが

成功した報告はいまだありません



つまり、人類は、ジェット機やロケット

スーパーコンピューターは作れても


人間どころか、いまだ単細胞生物すら作ることができないのです


人工知能より、ヨーグルトとか糠みその中にいる乳酸菌のほうが

ずっと構造が複雑なので、作ることができないのです




そのようなことから生命の誕生を考えると

たくさん同時的に生まれたというのではなく

偶然、あるいは別の者(神?)の意志によって

1匹だけ誕生し

その1匹が現在地球に存在する全ての生命の祖先となった

という可能性も考えられるはずです



そうなると、宇宙や、地球に「心」「精神」があるかどうかは別として

その1匹が誕生したときに

宇宙に最初の「心」が誕生した可能性だって考えられます



そこで、その最初の「心」ってどんな想いだったのだろうか?

と考えてみましょう




ヘーゲル的に考えると

この1匹の微生物は、宇宙の精神の自己表現であり

宇宙の原理そのものです


そうなると

≪歴史はその絶対精神が

自己(絶対精神自身)を認識する過程である≫

なわけですから


最初の心は「自分とは何だ」

という自己認識になるかもしれません(笑)



ヘーゲルがいうとおり、歴史は宇宙の原理が

自己を認識してゆく過程だとすると


宇宙の原理、宇宙精神の自己表現としてあらわれた我々が

「人間とは何か 自己とは何か」と考えることは

運命付けられていたと言えますよね(笑)




そして、我々がその答えを

いつまでも見つけられないということは


宇宙精神も「自分とは何か」という答えを

求め続けているという考えもでき


逆に言うと「自分とは何か」の答えを永遠に探し求めるのが

宇宙の原理の本質ということになります





では、最初の心は「自分とは何だ」という自己を認識だとして

次の瞬間には、どのような感情が

この1匹に生まれたのでしょうか?



それは「寂しい」という心かもしれません


この宇宙で心をもつものが自分だけだということを認識し

「寂しい」という感情が生まれた可能性を考えられます



もちろん、寂しいとか悲しいという言葉や概念は

人間がつくったものですが

このような概念の心を自然に感じたとしましょう



そこでコミュニケーションがとりたくなり

この1匹は分裂した 仲間がほしくて分裂した


そして1匹が2匹、2匹が4匹と

どんどん仲間が増えていった




そう考えると

この1匹より進化したあらゆる生命体は

本来、「寂しい存在」であると言えます


高等な生物に雌雄や男女の違いがあるのも

互いに寂しさを補い合うためなのかもしれません



また、悪や犯罪、うらぎりやいじめなどは

不安や恐怖や焦燥から

自分を守ろうとする心が生み出したもので


不安や恐怖や焦燥の根底にあるのが

孤独や寂しさなのかもしれないのです




ただ「寂しい」ではなく

「お腹へったなぁ なんか食べたいなぁ」

ということで

相手を食べるために分裂したのかも知れない(笑)


生命の根源にあるものは、生と繁栄の選択なので

自分が生きるため

相手を食べるために、分裂したことだってあり得ます




それから人類学者に言わせると

言葉というものは、自分のいる場所を知らせるなど

他者とコミュニケーションをはかるために生まれたとか



言葉というのは、コミュニケーションのためではなく

外敵がいなくなり、大声で泣いても心配なくなったことで


赤ちゃんが母親への感情表示として

声を出していたのが始まりである


それが前適応となり

後にコミュニケーションに用いられるようになったのであるとか

いうことになりますが



【 前適応とは、後に重要になる器官や性質が

それ以前にあらかじめ獲得されること

例えば、鳥の羽は、もともとは飛ぶためではなく保温が目的

なのでティラノサウルスにも備わっていたという 】



そうではなく、言葉は

最初の1匹の

孤独に対するいいしれぬ恐怖

あるいは、さけられない危機などに対する

「叫び」からはじまったのかもしれません


最初の1匹のアダムが

叫んだ瞬間、分裂してイブが生まれたわけです(笑)







微生物の心



大腸菌で発見された高等生物の有性生殖に似た現象に

「接合」というのがあり、腸内細菌などでも確認されているといいます


これは、接触によって、供与菌(オス)の遺伝子の一部または全部が

受容菌(メス)伝わる現象で


薬物耐性を決定する遺伝子を持つ薬剤耐性菌と

これを持たない感受性菌の接合が起こったりするそうで


赤痢菌と大腸菌のような

異種の細菌の間でも起こることがあるらしいのです



そうなるとすでに単細胞生物の時代に

「雌雄分化」がなされていたということになります



さらに、薬物耐性を決定する遺伝子をもつ菌が

これを持たない菌に遺伝子を伝えていたなんてことになると

「こいつら絶対≪心≫があるでしょ」という話になります



近年、さらに、単細胞の細菌が

ある種の化学物質〔化学物質は細菌の種類により異なるが

まとめて オートインデューサーと呼ぶ〕によって


仲間同士、コミュニケーションをしている

〔クォーラム・センシングという〕ことも判ってきたようです



例えば病原菌は、周囲に仲間がいないときはおとなしくしていて

仲間が集まったことを知ると

毒素を出して一斉に生体を攻撃するようになっているそうです



単細胞生物にも心がありそうです(笑)







雌雄分化と≪孤独≫の誕生



≪自己≫という意識を

生物がどの段階でもったかを考えてみます


魚にだって、なわばり意識

つまり、≪自分の≫という意識があるし


≪自分≫という意識は、どこまでさかのぼれるのでしょうか?




まず、生命が生命として存在していくためには

≪食べる≫ ≪栄養を摂取する≫ という行為が必要です


≪食べる≫には、他との競争において

食べ物を獲得しなければなりません


なので、生命の誕生とともに

≪自分≫という意識はあったと思うのです




但し、≪雌雄分化≫以前は

生命体は、分裂によって増えていたので

子孫に自分の遺伝子がそのまま伝わっていきます



なので、自分と子孫の間においては

自他は明確でなく


また生命は、ある意味、永遠であり

≪無常≫も≪孤独≫もなかったはずです




雌雄分化については、こんな話↓がなされます


【 単細胞生物は、環境条件が許す限り、「分裂」や

「出芽」(酵母の増殖法。親より子が出て別れる)で

無限に増えることにより「種」を保存する戦略とる


ただ、このような無性生殖だと

環境が変化すると全滅する危険があったり

限られた条件でしか生存できないといったデメリットを持つ


これに対して、雌雄分化した生物は

遺伝子の組み合わせによって

多様な子孫を輩出することが可能となった


地球環境の急激な変化に対処しうる確率を高めた



無性生殖の生物の殆どが絶滅したのに対し

有性生殖の生物が、爬虫類から哺乳類

さらに霊長類から人類にまで進化できたのは、雌雄の分化による



しかし雌雄の分化によって、オスは自らのDNAを残すために

それを許してくれるメスを探さなくてはならなくなった


しかも、多様な種を残すためには

できるだけ多くのメスが必要となった


そのためには、目立たなければならないので

クジャクのオスは羽を美しくし進化させ

セミのオスは鳴いてメスを呼ぶようになった 】




雌雄分化による繁殖法が成立するには

オス(あるいはメス)による

異性の取りあいが必須の条件となるはずです


雌雄分化によって

個体間同士の異性の獲得競争が生まれたわけです


そしてこの競争原理の中で

「自己」とか「自我」という意識を

さらに深めていったと推測できます



自我意識が弱い個体は、自然のしくみとして

淘汰されていくようになっているはずです


仏教では「自我」を悪いものとしてとらえ

「自我を滅しなさい」とか言いますが


我々は生き残るために≪自分≫という意識を持つのです



重要なのは「生き残るため」というのは

「種」として生き残るためということです




心の誕生、さらに≪自分≫という意識は

雌雄分化以前なんでしょうけど

雌雄分化により個我意識を深め


それにともなって「寂しい」とか「孤独」だとかいう

感情も生まれたのではないでしょうか?



我々人間のことを考えると、性の欲求だけでなく

寂しさや孤独感が、雌雄による繁殖を可能にしている

とも言えそうです



我々は、異性を求めるていくために

生物の仕組みとして

寂しさ、孤独感が強く現れるようになっている

のかもしれませんね




第二章 物自体・事自体論の巻

カントの道徳論




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