現在主流の「心の哲学」の嘘を暴く!! 脳機能局在論・三位一体脳



心と存在


「心理学」「脳科学」の嘘を暴く!!



 




脳の構造から
心と世界を解き明かす




脳機能局在論



大脳は部位的には、大脳縦裂によって

「左脳」(記憶力、理解力、読解力、言語力)と

「右脳」(イメージやひらめき)に分けられ


さらに主な溝によって

「前頭葉」(思考や判断、意欲、運動、抑制、言葉を作り出す)

「側頭葉」(言葉を理解する、長期の記憶、聴覚)

「頭頂葉」(空間認識や感覚反応)

「後頭葉」(視覚)に分けられます



 転  写





また、脳(特に大脳皮質)が

部分ごとに違う機能を担っているとする説を

「脳機能局在論」「大脳皮質の機能局在」といいます


それによると、大脳皮質には

運動野、体性感覚野

連合野〔認知・判断・記憶・言語や

緻密な運動など高度な機能を統合するとされる〕

視覚野、聴覚野、嗅覚野、味覚野

言語野〔ブローカ野(運動性言語野)

ウェルニッケ野(感覚性言語野)〕

など諸機能の中枢が特定の部分に分布しているとされます


 転  写







脳の内部構造



大脳の内部構造を説明すると


① 「大脳」

大脳皮質(灰白質・かいはくしつ)

大脳髄質(白質)、大脳辺縁系、大脳基底核 からなる


人間は特に大脳が非常に発達している

(成人で約1300g)



② 「間脳」

視床、視床下部、下垂体 からなる



③ 「小脳」



④  「脳幹」

延髄・橋・中脳からなる


に分けられていて



このうち

「小脳」は、運動や体のバランスを司るといいます


左右の半球と、中央の狭い虫部

さらに表層の小脳皮質と

深部の小脳髄質に区分されているそうです



 転  写



 転  写




「脳幹」(延髄・橋・中脳)が

一般に≪爬虫類脳≫と呼ばれる部分で

呼吸の調整、血液・体温・水分・ホルモンの調整

食欲や性欲などの欲望の管理、睡眠の管理などといった

生きるために基本的な働きを司るといいます




大脳髄質(白質)は

神経繊維の集合体で、主に神経細胞(ニューロン)のうち

軸索が集まっていて、大脳皮質の各部を連絡をしているそうです


大脳皮質=灰白質(灰白質)は

主に神経細胞の細胞体が集まって出来ているそうです







大脳髄質(白質)と、大脳皮質(灰白質)との関係は

以下のようになるそうです


 転  写


チップとは、集積回路(IC)のことです





● 大脳皮質 (大脳新皮質)


大脳皮質には、下等な脊椎動物から

すでに存在している部分(旧皮質や古皮質)と


高等になって出現する部分(新皮質)とがあり

人間では大部分が新皮質だといいます



また、ヒトの個体発生において

発生初期にできる部分が、古い皮質に

発生が進んでからできる部分が、新しい皮質にほぼ対応するとされます



要するに、発生学的な観点からは

大脳皮質を、新皮質、旧皮質、古皮質、原皮質

などと分けるようですが


人間の脳を、脳科学的に語る場合

大脳皮質 = 大脳新皮質 でよいかと思います




大脳新皮質は、大脳の表面に広がる表層部で

6層構造を持つ薄いシート状の皮質といいます

厚さは1.5~5mmほど(場所によって違いがあるようです)



脳のしわは、脳回(表面に出ている部分)と

脳溝(直接見ることのできない部分)によって出来ています






大脳新皮質は、この脳のしわしわに折りたたまれた状態

(全体としてはクシャクシャにまるめたような状態)で

脳を覆っています


広げると新聞紙1枚くらいの大きさになるといいます


つまり、脳のしわは

これだけの面積をもつ大脳新皮質を

頭蓋骨に収めるため必要なものなのだそうです



さまざまな種類の神経細胞が密集している部分で

神経細胞数は140億とあるそうです



五感(手触り・厚さ・寒さなどを感じる)

運動の指令、言葉や記憶、思考などの高度な機能を司る


= 感覚中枢、運動中枢、精神活動 を司る

とされています







三位一体脳



脳の構造と言えば

アメリカの神経科学者 イエール大学教授の ポール・マクリーンが

1960年代に示した「脳の三層構造」「三位一体脳」が有名です


 転  写


現在では、あまりにも単純化されすぎている

ということから科学者からは人気がないようです



 転  写


とはいえ、ビジネス書などでは

いまだ人気があるようで

「マズローの五段階欲求」なんかと結びつけられて語られています




 
 転  写


こうした図解が多く (というかほとんどがそう)

私のような素人は、誤解を受けてしまいますが


大脳新皮質と書かれている部分は

大脳新皮質ではなく、大脳髄質(白質)です





人間の脳では

鳥類以下の動物での運動中枢だった神経細胞の塊が

大脳の底へと追いやられ、大脳基底核なった

とか言われていますが



比較神経科学からみた進化にまつわる誤解と解説

https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2017/10/75-17-20.pdf

というサイトによると、以下になるそうです



 転  写



 転  写




つまり、現生(現在生きている)の人類の脳と

現生のサル、現生の鳥類、現生の爬虫類のそれと比較して


人間の脳は、彼らの脳から進化したもので

優れているとするのは、間違えということです







エルンスト・ヘッケルの
「反復説」と脳の成長




とはいえ、胎児の脳が、母胎内で成長する際は

生物の進化過程をたどるように

旧皮質→ 古皮質→ 新皮質 の順に発達していくといいます


〔 旧皮質・古皮質は

脳辺縁系を、旧皮質(魚類以上に見られる部分)

古皮質(両生類以上に見られる部分)に分けたもの 〕



 転  写




旧皮質、古皮質は、人間の胎児が

母体の中で、脳をつくっていく過程において

初めは表面にあって、脳を覆っているそうですが

(それゆえ皮質というらしい)


大脳新皮質が成長していくのにともなって

しだいに内側へと追いやられていくといいます




さらに、胎児から成人になるまで

旧皮質→古皮質→新皮質 の順に成長していくそうです


脳の神経細胞は、0歳~2,3歳の間に急速に発達

10代半ば~20代前半にかけて完成されていくらしいです


つまり、人間の脳、進化の過程に基づいて

生後20年程度まで発達し続けるということです



 転  写





ドイツの生物学者 エルンスト・ヘッケル

〔1834~1919・哲学者、医者、比較解剖学者

ドイツでダーウィンの進化論を広めるのに貢献〕によって唱えられた


「ある動物の発生の過程(受精卵が胎児へと成長していく過程)は

その動物の進化の過程を繰り返す形で行われる」

というのが「反復説」です



彼の残した

「個体の発生(個人の発生)が、系統の発生(人類の発生)を繰り返す」

という言葉は、現在でも生物学の根本原則となっているといいます




よく 「胎児は羊水という水の中に浮かんでいるが

羊水の成分はほとんど海水と同じである

たった1個の受精卵は、この羊水という海の中で

複雑な構造をもった胎児へと成長してゆく」


「これは、生命が何十億年もの時間をかけて

単細胞から多細胞生物へと進み

海から陸へと上がって


両生類→爬虫類→哺乳類→人間

へと至った進化のプロセスと同じで

ヒトの受精卵はこのプロセスを短期間で経験して

胎児へと育ってゆくのである」とか



「海水には血液と同じ成分が含まれていて

人間が海から進化したことを物語る」

などと言われるのは

エルンスト・ヘッケルの「反復説」からきています




ヒトの受精卵から成人になるまでの過程

受精卵→胚→胎児→乳児→成人は

単細胞生物→魚類→原始哺乳類→類人猿→ヒトによく似ている

といいます



2ヵ月目の胎児は、まだタツノオトシゴのような姿で

長い尾、魚のエラのように見える部分=

鰓弓(さいきゅう・頸部に発達する)を持つ


心臓も魚類と同じ1心房1心室の心臓を持つ といいます



やがてヒレのような手足が生える


3~4ヶ月で鰓弓がなくなり、尾も消え始める

4ヶ月ほどで手足の指が確認できる


肺は妊娠6ヶ月程度で形成される

受胎後7ヵ月の胎児は、毳毛(ぜいもう)で覆われている



胎児は十月十日で誕生するが、まだサル的特徴をそなえ

四つん這いから二足歩行できるようになるまでのプロセスは

類人猿→猿人→原人へのプロセスと合致するといいます








脳においても、進化の歴史をたどっている

ということになります







大脳辺縁系



前述したように

「脳の三層構造」は、進化説としては完全ではないにしろ


素人が、おおざっぱな脳の機能的な原理を

理解するには問題ないということでしょう



実際、現在の脳科学では

「爬虫類脳」「哺乳類脳」という言葉の

使用はさけていても



大脳辺縁系を、さらに両生類からみられる古皮質

魚類から見られる旧皮質とに分けたり



 脳の断面図    転写




大脳新皮質を

≪ 大脳新皮質が、高度に発達したのは人類だけで

サルから人類への進化に伴って

新皮質の部分が著しく進化していった


より人間らしく生きるための脳で、理性を持ち

人間性を高めながら、人間関係を上手に築き

社会の中で上手に生きようとする脳である ≫


としているわけですから


基本的には「三位一体脳」とあまり変わらない

と思います





さて、「哺乳類脳」とか「旧哺乳類脳」とか

「動物脳」とか「馬の脳」呼ばれるのは

≪大脳辺縁系≫のことで


おおざっぱにいうと

これが大脳基底核をとりまいているといいます



 大脳基底核   転写




 大脳辺縁系    転写



大脳髄質の、扁桃体は

敵なら逃げ、味方なら近づき

獲物ならば襲うといった行動を選択をする

有益か危険かを判断する価値判断の中枢とされます


転 写


扁桃体が未発達だと善悪の区別ができなくなる

と考えられています




 大脳辺縁系    転写



 脳の断面図    転写



大脳辺縁系の「脳梁」は

左脳と右脳の情報を行き来させているヵ所で

これにより脳を全体として機能を成り立たせているそうです





以上、大脳辺縁系についてまとめておくと


大脳辺縁系は、「哺乳類脳」とか「旧哺乳類脳」とか

「動物脳」と呼ばれ、本能的行動

情動(一過性の心の状態)、自律機能、嗅覚を司るとされる



大脳辺縁系は、さらに両生類からみられる古皮質

魚類から見られる旧皮質とに分かれる



短期の記憶に関係する海馬は、大脳の古皮質に属するという


外部の情報はここにいったん貯えられ

その後、必要な記憶は側頭葉へと運ばれる



≪種の保存≫は

大脳辺縁系(とくに古皮質)が司っている



嗅覚は、旧皮質の「梨状葉」で営まれている


〔 嗅覚情報は「匂い物質」→「鼻腔粘膜」→「嗅球」→

「大脳辺縁系」(梨状葉→内嗅皮質→海馬) と流れて認知される 〕







脳構造と人間の世界 ①



 転  写



この図は

脳科学においては、≪種の保存≫は

大脳辺縁系(とくに古皮質)が司っている


古皮質が、種の保存ための

本能行動、情動行動の中枢になっている


ということであり


「三位一体の脳」からいくと

大脳辺縁系=動物の脳 なので


「種の保存」を

≪仲間意識≫とか

≪自己犠牲≫と勘違いしたのかもしれません




≪種の保存≫というのは


いわしのような魚なら

たくさん生まれて

たくさん大きな魚に食べられることで

残ったものが

種を保存していく

というように


魚類にもみられる原理です



魚だって、みんな「自分は食べられたくない」と思って

逃げてますよ(笑)


「自分はみんなのために食べられよう」なんて

自己犠牲の精神や、仲間意識で

行動しているやつはいないと思うけど (笑)



ただ、そうした≪種の保存≫のシステムが

結果的に、自己犠牲的なモノである というだけです



イギリスの経済学者で「経済学の父」と呼ばれる

アダム・スミス(1727~90・哲学者)の

有名な「神の見えざる手」

〔1人1人の利益の追求が

社会全体に富をもたらすという結果になる〕

じゃないけど(笑)


1人1人の自己保存の欲求が

「種の保存」に貢献する結果になっています





脳科学では、種の保存は

主として、古皮質(両生類以上でみられる)の脳でなされる

ということになっていますが


ヘビやトカゲやカメより

誰がみたって、魚の方が自己犠牲的ですよね(笑)



食物連鎖から言えば、みんな自己犠牲で

それで、種を保存しているとは言えますが・・・・

(ライオンだって、死ねば微生物に食べられます)




そもそも、古皮質にしたって、旧皮質にしたって

「三位一体の脳」からいくと、動物の脳です




これはなにを意味しているかというと

≪種の保存≫が

哺乳類以上という「三位一体の脳」は論外で


さらに両生類以上にみられる脳(古皮質)が司る

という現在の脳科学の話も、デタラメであるということです





さらにいうと、我々が

魚以下の下等な存在とみなしている昆虫の中には


ハチやアリのように、人間が実現できなかった

共産主義さえ可能にしている種もいます




ミツバチは

働き蜂(雌蜂)は、繁殖せずに女王蜂の繁殖を助けるため

自分の子孫を残しません




また、ニホンミツバチが進化の過程で獲得したとされる

オオスズメバチに対する対抗手段に「熱殺蜂球」があります



●  熱殺蜂球

オオスズメバチをみんなで取り囲み

飛翔筋を震わせて熱をおこし、熱によって殺してしまうこと

スズメバチは44~46℃で死ぬため

約20分間で48℃前後まで熱を上げて殺してしまう

ミツバチは50℃を短時間なら耐えられる



 転 写





セイヨウミツバチの場合

ニホンミツバチより体温が低いので

この戦法は使えないそうですが


「窒息スクラム」

〔みんなでスズメバチの腹の周りを圧迫して

呼吸できなくし約1時間かけて窒息死させる〕

というのがあるそうです


 転 写




なお、セイヨウミツバチの「窒息スクラム」は

本来、コガタスズメバチやキイロスズメバチのような

集団襲撃のないスズメバチに対抗する手段として

獲得したものだそうです



オオスズメバチの集団攻撃になると死骸の山が築かれ

数時間で巣は占領、全滅してしまうといいます


これは、セイヨウミツバチの進化した地域に

集団襲撃のスズメバチがいなかったことからだとされています




これはなにを意味しているのか?

というと


魚は自己犠牲の精神で行動してなくても

ミツバチは自己犠牲の精神で行動している (かもしれない)

と言えるのです(笑)




結論を言うと種の保存に

高等の脳も、下等の脳も、へったくりもないということです



もっと言えば、脳が、種の保存を司っている

という話自体が怪しいし


たとえ種の保存を、脳が担っているにしても

現在の脳科学で語られている話とは


本質的に違うということです




だいたい、 大脳辺縁系=本能、情動

というのを高校で教えているらしいですが


「動物脳」=本能的行動 (・_・?)


魚の≪種の保存≫は、本能的行動ではないのですか?

ミツバチの≪種の保存≫が、本能的行動ではないのですか?

という話になりますよ




もっと深い話をすれば


そもそも、脳科学や心理学で言われている

食欲とか、性欲とか、健康欲とかいったものにもとづく

本能や衝動なんて、そもそもが


≪種の保存≫でなく≪自己保存≫です




それと、我々は、サッカーの日本代表を応援したり

プロ野球の巨人や阪神を応援しますが


そういった仲間意識、帰属意識というのは

≪種の保存≫でなく

≪種族繁栄の欲求≫からくるものです







脳構造と人間の世界 ②




未来の環境の変化に適応するために

生物は遺伝的に違う個体を生み出します


その中で環境に適応した強い個体だけが

子孫を残し「種」は保存されていきます


これが進化です


ということは、生物が生存する意義の第一は

自己保存=本能ではなく

遺伝的に組み込まれている「種の保存」です




これは人間にとっても同じはずです


例えば、アフリカという日差しの強い場所では

紫外線から身を守るため、肌の黒い個体が優位になり

生き残って子孫を残してきたわけです




「生物は生きることが目的である」

「生物の本質は自己保存である」と言うなら


生物はなぜそれと矛盾する

「子孫を残す」という行為をなすのであろうか?

という話になりますよ




子孫を残すということは

子供にメシを食わせなきゃならないし

学校にも行かせなきゃならない(笑)


それだけエルギーを使うし

自分の生命をおびやかす行為でもあります




ナイチンゲールが活躍した時代は

細菌学も衛生学も未発達で


病院もきわめて不衛生で

産婦が、医師の手を介して細菌感染を起こし

産褥熱(さんじょくねつ)にかかって亡くなることも

多かったといいます





人間はみな

「子孫を残すこと」=「自己保存」(ホントは種の保存です)

と思い込んでしまっていますから


この矛盾に気づく人が

世界にどれだけいるでしょうか?

また、いたでしょうか?

ということなのです




そもそも自分=遺伝子だとしたら

雌雄分化した生物は、子孫によって

自分を保存することなどできはしません


子どもですら半分しか自分ではないことになります



さらに、我々1人1人の10世代前からの祖先は

1024人存在するといいます


となると、我々の持つ遺伝子は

46本(ヒトの染色体の数)×1024人=4万7千104本のうちの46本

ということになります



なので10代後の子孫の46本のうち

1つでも自分のものである確率は、とんでもなく少ないのです


子孫に男子が続いた場合に限り、Y遺伝子だけは残りますが・・・・




さらに戦国末期、江戸時代初期までさかのぼると

だいたい血脈的な先祖は16代前になるそうですが

その数なんと3万2千768人になり


平安時代とか奈良時代までいくと数千万人になるそうです



つまり自己を永遠に保存していく

などということは夢物語なのです




そうなると、本来、種の保存である行為を

自己保存と思わせる存在がなくてはなりません



例えば、種の保存を、脳幹なり

大脳辺縁系なりのどこかが司っていたとしても

それを、自己保存だと

我々に信じ込ませている存在があるはずです



それが、大脳新皮質なのか?

DNAなのか? そこを考えるのが科学というものです







脳構造と人間の世界 ③




話を戻します



≪ 脳幹=爬虫類の脳=生命維持

大脳辺縁系=哺乳類の脳=本能、情動

大脳新皮質=人間の脳=理性


であり


大脳新皮質が、高度に発達したのは人類だけで

サルから人類への進化に伴って

新皮質の部分が著しく進化していった


より人間らしく生きるための脳で、理性を持ち

人間性を高めながら、人間関係を上手に築き

社会の中で上手に生きようとする脳である ≫




こう聞くと、こうした言葉に操られて

いかにも「大脳新皮質は素晴らしい」

というイメージが

我々の脳につくられてしまいます





トマス・ホッブス(1588~1679)は

デカルト(1596~1650)と同時代の人です


彼は「際限のない欲望」について解き明かしています


≪ 生命の根元は「自己保存の本能」である

人間は固有のものとして「理性」をもつ 理性は予見を特徴とする


人間以外の動物は、理性を持たないため自己保存の予見ができない

このため生命の危険を感じたときだけ自己保存を考える


これに対して人間は、理性によって未来の自己保存を予見して

つねに他者より優位に立とうと行動する


ここに際限のない欲望が生まれる ≫



欲望と対立するはずの

「理性」が≪際限のない欲望≫を生み出している

というところに面白さがあります



つまり、大脳新皮質=理性の脳 が

≪際限のない欲望≫を生み出しているのです(笑)






それから

私が何度も書いているように



【 創価学会の新聞を毎日新聞が印刷している世の中

言論の自由なんて「嘘」の世の中…



肉を食べれば、家畜の飼料として穀物が多く必要となり

飢餓が増えることを知りつつも毎日、肉を食べ

多くの人を殺している私たち…


これは、家畜を食べているというのではなく

我々先進諸国の人間が肉食獣として

草食獣の発展途上国の人間を食べているのと同じです



それにコンビニのお弁当を食べるたびに

分解しにくいプラスチックを廃棄し

地球すら破壊しようとしている私たち・・・

全てのことが「お金」の世の中…



そんな上に私たちは

「人権」だとか「尊厳」だとか「正義」だとかいった

バーチャルな世界、言葉の世界をつくり上げ

その上にのっかって生活しているのです


つまりゲームの世界だけでなく

現実と信じている私たちの世界そのものがバーチャル

仮想現実の上にのっかった現実なのです


ということです 】



つまり、人間らしさを司る大脳新皮質が

言葉の世界を作り出し


我々はそこに

生きているということなのです


いいとか、悪いとか別にして・・・・






≪人間の世界は、言葉の世界である≫

というと

「いやいや、感情の世界にも

物質の世界にも我々は生きている」

とか反論してくる人がいますが


そんなのあたりまえです




仏教では、千年以上も前に


生命=自己=主体は

「依正不二」(えしょうふに)と

「色心不二」(しきしんふに)という側面で成り立つことが説かれています



「依正不二」とは、自己(正報)と、自己がよりどころとする環境(依報)は

一体で切り離せないという原理です



「色心不二」とは、生命の物質的側面である色と

精神的側面である心は一体で切り離せないという原理です


病気で熱があれば、心も不安となり

逆に、心に痛みがあれば表情も暗くなります




生命=自己=主体は

「依正不二」と「色心不二」によって成り立つ

ということを、存在論的にいうと

≪存在は、依正不二と、色心不二で成り立つ≫と言えるかもしれません





「依正不二」の

正報(しょうほう)というのは、生を営む主体 我々の心と身体です


つまり、美人に生まれたり醜く生まれたり

健康に生まれたり病弱に生まれたり

頭がよく生まれたりバカに生まれたりというのが正報です


生まれながらに具わっている素質です




これに対して、依報(えほう)は、正報がよりどころとする環境です


裕福の家にうまれたり貧乏の家に生まれたり

両親そろった家に生まれたり片親しかいない家に生まれたり


両親が仲のよい家に生まれたりけんかばかりしている家に生まれたり

平和な国に生まれたり戦乱の国に生まれたりというのが依報です




そして、正報と依報が「不二」(ふに・2つにして2つにない)

すなわち、一体体で切り離せないというのが「依正不二」です



「私には正報がない」という人間など存在しないし

同様に「自分には正報だけあって依報はない」という人も存在しません


つねに人間は環境と一体で存在するというのが「依正不二」です




そうした、物質的な側面と一体の心が

また、環境と一体な主体が

つまり、生命が


どのような世界をつくり出し、生きているのか?


その「世界」について、私は論じているのです



今回の場合にあてはめて言うと

大脳新皮質の心がつくり出す世界を論じているのです




自由意志について

リベット実験の勘違い

なぜ「自由意志は存在しない」と

科学者は主張するのか?





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