脳の知覚と主体の認識 「錯覚」の例として最も有名なのが ドイツの心理学者・社会学者 ミュラー・リヤー(1857~1916)が考案した 「ミュラー・リヤー」という図形です 真ん中の線の長さが あきらかに、上の図形の方が長く認識されます こうした錯覚がおきているという事実は 脳は、現実の世界を 必ずしも認識できているわけではない ということになります 視覚でおきる錯覚を「錯視」と呼ばれますが 聴覚でもおきることがわかっているそうです また「錯視」といっても 実際には、視覚でなく、脳による活動に由来するとされています 脳による活動に由来するといったって 「ミュラー・リヤー錯視」の図形を 脳でちゃんと構成できているわけですから 知覚(受動性)に問題があるわけでなく 主体=心が、その知覚を 「下の図形の方が長い」という 認識判断をするときに つまり「これは〇〇である」という 能動的な判断をするときに 「錯覚」や「幻想」という世界が生まれているということです このように、価値の世界ばかりでなく 「知覚」を受動的な能力 「認識」を能動的な能力と考えた場合 認識の世界においても 「主体」という存在が明確に現れてくるのです よく「主体性をもって生きなさい」とか 「日本人には主体性がない」とか表現されますが 認識レベルにおいても 主体とは、能動性そのものであるということです 主体とはなに? ①~② カルテジアン劇場は「真」である (ひとつ戻る) |
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