現在主流の「心の哲学」の嘘を暴く!! 表象理論



 心と存在


「心の哲学」の嘘を暴く!!


 




表象理論



前述の「マリーの部屋」でふれた


青い海を見ているときの神経状態には

青い海を見て、感動している

心的現象が描かれていない


物理的記述と心的記述には

大きなギャップ(説明のギャップと呼ばれる)がある

物理主義では、クオリアの問題を無視している


という「説明のギャップ」に対し



機能主義の立場から

クオリアを物理的なものに還元する試み

ギャップを埋める試みが盛んになり

「表象理論」というのが生まれています




まず、人の感覚器官は外界からの情報を受け入れ

それに基づいて外界のあり方についての

表象(イメージ)を形成する


そしてその表象に基づいて

さらに行動の表象を形成し、それに従って人は行動する


という基本的な考えが前提としてあります




つまり、心が、りんごという外界(刺激・情報)に接すると

りんごのイメージ(表象)をつくりますが


「表象理論」というのは

りんごのイメージ(表象)は、意識経験=心 であるが


クオリアは、この表象に付随しているだけで

意識経験=心 ではない と考えるのです



表象(りんごのイメージ)=意識経験の内在的な性質

クオリア(赤い)=表象(りんごのイメージ)にプラスされた外在的な内容

というように考えるのです




機能主義理論において

クオリアが説明しにくい理由は


意識の機能的側面である

神経の状態で説明可能な「表象」に


意識の現象的側面である「クオリ」アが

論理的に付随していないように思われるからなので



りんごの「赤い」(クオリア)は

りんごのイメージである表象に内在する性質ではなく

つまり心の本体にあるものではなく


表面特性(光学的な反射特性)であって

心の本体に外在的にプラスされたものである

と考えるのです




【 私がりんごを見るとき、りんごの赤さや丸さは感じるが

≪りんごを見ている≫という

「経験そのもの」(意識そのもの・心そものもの)

は見ることはできない


だからりんごの「赤」といったクオリアは

意識経験そのものの性質ではなく

表象(意識経験)に付随したものにすぎない 】


という訳の分からない理屈(笑)が

表象理論の基本的な考え方だとされます




なお、フランク・ジャクソンは

当初「マリーの部屋」という思考実験で

物理主義を批判しましたが

後に表象主義に転向しています




ダニエル・デネット ①




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