表象理論 前述の「マリーの部屋」でふれた 青い海を見ているときの神経状態には 青い海を見て、感動している 心的現象が描かれていない 物理的記述と心的記述には 大きなギャップ(説明のギャップと呼ばれる)がある 物理主義では、クオリアの問題を無視している という「説明のギャップ」に対し 機能主義の立場から クオリアを物理的なものに還元する試み ギャップを埋める試みが盛んになり 「表象理論」というのが生まれています まず、人の感覚器官は外界からの情報を受け入れ それに基づいて外界のあり方についての 表象(イメージ)を形成する そしてその表象に基づいて さらに行動の表象を形成し、それに従って人は行動する という基本的な考えが前提としてあります つまり、心が、りんごという外界(刺激・情報)に接すると りんごのイメージ(表象)をつくりますが 「表象理論」というのは りんごのイメージ(表象)は、意識経験=心 であるが クオリアは、この表象に付随しているだけで 意識経験=心 ではない と考えるのです 表象(りんごのイメージ)=意識経験の内在的な性質 クオリア(赤い)=表象(りんごのイメージ)にプラスされた外在的な内容 というように考えるのです 機能主義理論において クオリアが説明しにくい理由は 意識の機能的側面である 神経の状態で説明可能な「表象」に 意識の現象的側面である「クオリ」アが 論理的に付随していないように思われるからなので りんごの「赤い」(クオリア)は りんごのイメージである表象に内在する性質ではなく つまり心の本体にあるものではなく 表面特性(光学的な反射特性)であって 心の本体に外在的にプラスされたものである と考えるのです 【 私がりんごを見るとき、りんごの赤さや丸さは感じるが ≪りんごを見ている≫という 「経験そのもの」(意識そのもの・心そものもの) は見ることはできない だからりんごの「赤」といったクオリアは 意識経験そのものの性質ではなく 表象(意識経験)に付随したものにすぎない 】 という訳の分からない理屈(笑)が 表象理論の基本的な考え方だとされます なお、フランク・ジャクソンは 当初「マリーの部屋」という思考実験で 物理主義を批判しましたが 後に表象主義に転向しています ダニエル・デネット ① 機能的意識と現象的意識 (ひとつ戻る) |
|