脳を半分に切ると2人の自分になる? 脳科学・心理学「分離脳」の嘘



心と存在


「心理学」「脳科学」の嘘を暴く!!


 




「分離脳」の嘘を暴く



最近では、有名な心理学の論文の多くに

再現性がないことが問題となり

学界全体をあげての対策が行われていると言います


https://note.com/s1000s/n/na0dbd2e8632d

心理学・行動経済学等の著名な研究論文が次々に追試失敗【心理学】



細かくみると、再現性がないものから

再現はできたが元論文ほどの効果がないもの

元論文における説明の妥当性に疑問符がつくものなどがあるようです



かの有名な「スタンフォード監獄実験」は、やらせ疑惑さえ出ています

( スタンフォード大学で行われた心理学実験

ふつうの人も看守役・囚人役に選ばれると

看守・囚人らしく振る舞うようになる )




この他、表情を作ると、表情に対応した感情が生起するという

「表情フィードバック仮説」(効果は小さい)



マシュマロのつまみ食いを我慢できる子供は

高い学力を身につけ、社会的に成功したという

「マシュマロ実験」(効果は限定的)



宣誓という行為が人を正直にするという『宣誓効果』

(データの捏造が指摘。捏造論文の共著者の一人

ダン・アリエリー氏は世界的に有名な学者)



才能(知能)よりも努力を誉めたほうがやる気が出る

『グロース・マインドセット理論』(再現性ほぼなし)



「女は数学が苦手」とか「黒人は白人より学力が低い」などの

ステレオタイプ(先入観)を意識させると

実際に試験の点数が下がる『ステレオタイプ脅威』(再現性ほぼなし)



教師の期待によって生徒の成績が向上する

『ピグマリオン効果』(効果は小さい) などがそうだとされます




【 ちなみに

「人形」を愛したり、女性を人形のように扱い

自分の理想どおりの振舞いを求める性癖を

「ピグマリオン・コンプレックス」と言います


ギリシア神話に登場するキュプロスの王 ピグマリオンと

類型の心理状態だといいます



ピグマリオンは、現実の女性に失望し

愛と美の女神 アプロディテをモチーフにして

自ら理想の女性 ガラテイアを彫り上げた



像を見ているうちに、ガラテイアが服を着ていないことに

「恥ずかしく感じていないか」と思い始め、服を彫る


さらにガラテイアのために食事を用意したり

話しかけたりするようになり

その彫像から離れなくなり次第に衰弱していった



その姿を見かねた愛の女神 アプロディテが

彼の願いを容れて彫像に生命を与えて人間とした

ピグマリオンは彼女を妻とした



逆に、男性に人形みたいに扱われたいという女性の

「ガラテイア願望」もコンプレックスの一種



なお、ピグマリオンが毎日

彫像のガラテイアを見つめて人間になることを願い

ついに それが叶ったように


教師の期待によって学習者の成績が向上することを

「ピグマリオン効果」別名、「教師期待効果」と言います



「ピグマリオン効果」とは反対に

周囲の期待が低いと、周囲の期待通りに

パフォーマンスが低下してしまうことを

「ゴーレム効果」と言います


(ゴーレムはユダヤ教の伝承で

神が大地からアダムを生み出す前の胎児。自分で動く泥人形) 】









リンクを貼ったサイトには

心理学の研究は、経済学、法学、倫理学、哲学

社会学、教育学、いろんな分野の研究者が

援用(自分の主張の助けに)するので


心理学研究に間違えが多いと

色々と読んで勉強している人ほどデタラメになり

根絶しがたい疑似科学を広めることになる

ということも書かれています




「データは嘘をつかないが、嘘をつく人はデータを使う」

という名言がありますが


心理学というのは

基本、データを根拠に「あーだからこう」みたいな話が多いでしょ


なので、正しいものもある一方

デタラメのものも多くあるのは、あたりまえです



それに個人的には、 心理学にせよ、脳科学にせよ

本質や概念に関わる重要な理論でなければ

正しかろうが間違えていようが興味の対象ではないので

どうでもいいのです



しかし、≪感情≫とはなにか?

≪価値≫とはなにか? という

レベルにおいて間違えている「ABC理論」


≪自由意志はない≫という

デタラメな主張の根拠となっている「リベット実験」


こういったものは、見逃せません



そうした重要な理論の一つに『分離脳』があります

これは、本来「自己」を考える上で、重要な研究なのですが


この『分離脳』も近年、再現性が疑われています




『分離脳』とはどういうものか

分かりやすいYouTubeの動画のリンクを貼っておきます


アリストテレスさんの

https://www.youtube.com/watch?v=TIKxnqsuUH4&t=241s

【意識】脳を半分に切ると人格は2つになる?~分離脳~ | 脳科学



るーいのゆっくり科学さんの

https://www.youtube.com/watch?v=Sb7rtvfDBtE&t=314s

【ゆっくり解説】

右脳と左脳を切断することにより起こる不可思議な現象-分離脳-




治すことの難しい「難治性てんかん」

(てんかんは、脳内で異常な神経活動が発生し、発作が起こる疾患)

の治療として


異常な神経活動(てんかん性の興奮)が脳全体に広がらないように

左右の脳をつなぐ「脳梁」(のうりょう)を切断する

という手術があります


 転  写



この手術によって分離された脳を「分離脳」と言います



幻想や妄想、自己破壊、暴力などの症状を抑えるため

頭蓋骨に穴をあけ、前頭葉の一部を切除する「ロボトミー」は

のちに、人を廃人にする「悪魔の手術」とされましたが

(考案者のポルトガル医師はノーベル賞受賞)



分離脳手術は行っても

患者の多くは、手術前と手術後の違いを自覚することがないし

てんかんの発作もちゃんと治まるそうです


また、問題がある患者でも

通常、時間の経過とともに、動作を1つにまとめられるようです




Nature ダイジェスト

「分離脳」が教えてくれたこと というサイトには


脳外科手術を受けた後の数か月間、スーパーマーケットで

「欲しい物に右手を伸ばそうとすると

そこに左手が割り込んできて両手が争う形になった」


「着替えるのも同様で、自分が着たいと思う服を

両手が実際に着せてくれなかった」


しかし、手術後約1年で問題は軽減し

「動作を1つにまとめられるようになった」


という1979年に手術をした女性の話がみられます



分離脳手術(脳梁離断術))は

1940年代からなされていたようです




そんな手術、今でもなされているのですか?

と疑問が湧きますよね



てんかん情報センター

https://shizuokamind.hosp.go.jp/epilepsy-info/news/n5-4/

によると


【 脳梁離断術には、脳梁の全長を離断する全離断と

前半2/3離断があり、発作に対する成績は

全離断のほうが良いとされています


しかし10歳以上の患者さんで全離断を行った場合

左右の半球間での情報のやり取りができなくなることによる

特殊な機能障害(右手でドアを開けようとして

左手で逆に閉めようとするなど)が生じることがあります


したがって10歳以上の患者さんでは

まず前半2/3離断を行い

効果が不十分なときには残りの後ろ1/3の離断を行います 】


とあり、今もなされていることが分かります





今では、左脳が、言語や論理を司り

右脳が、イメージや創造を司るというように


左右の脳で働きに違いがあることは、常識になっています



【 他には

左脳は、計算する能力や、時間の観念なんかをもち


右脳は、感覚的な能力、また直感やひらめきにたけ

芸術や音楽の認識に関する能力をもつと言います



また、左脳は“直列処理”、右脳は“並列処理”と言われています


右脳は、並列情報の倉庫ようなものらしく


1週間前に食べたおいしいチーズケーキや

今日、見た美女のイメージなどが

カテゴリーは関係なくバラバラに、所狭しと並んでいるといいます


一方で左脳では、グループやカテゴリーごとにまとめられているといいます


左脳は、認知のフィルターで、重要な情報だけを

意識に上げることで、脳の働きを効率化しているとされます 】




しかし、 分離脳手術は行っても

患者の多くは、手術前と手術後の違いを自覚することがないことからも

かつては「左右の脳で機能に違いがない」と考えられていたそうです



この常識を覆したのが、アメリカの心理学者

ロジャー・スペリー(1913~94)や

マイケル・S・ガザニガ(1939~)の研究で

スペリーは、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています



     
 ロジャー・スペリー    マイケル・S・ガザニガ






それと、脳梗塞で、左側の脳が障害されると、右半身にマヒが起こり

右側の脳が障害されると、左半身にマヒが起こるように

左脳が右半身につながり、右脳が左半身につながっている

ことも周知の事実です



同様に、視覚も

右視野の情報は、左脳へ

左視野の情報は、右脳へと入ることが分かっています






図は、見えるってすごい!視覚の仕組み

http://eyeeye.vision/2016/03/04/post-2235/  より



目の神経は半分だけ交差している「半交差」です


つまり、スクリーンとなる網膜の左半分が左脳へ

右半分が右脳へとつながっています



いずれにせよ

右側の視野(a)が、左脳に

左側の視野(林檎)が、右脳に入ります


なお、視野とは、≪眼を動かさずに見ることができる範囲≫をいいます




ちなみに、 人間の眼の水晶体は凸レンズですから

網膜(スクリーン)に映る像は

実際には倒立像(さかさまの像)なのです


だから上の図の網膜では、林檎とaは、さかさまなのです


脳がその情報を受けて

正立(せいりつ)像へ変換しているのです





ガザニガは、以下のような実験結果が得られた

と主張しています



分離脳患者の

① 右視野に、林檎を置く

すると、情報は、左脳へ行く


「なにが見えましたか?」と聞くと


左脳は、言語(言葉や会話)を司っているから

「林檎が見えます」と答えることができる




② 左視野に、林檎を置く

すると、情報は、右脳へ行く


「なにが見えますか?」と聞くと


言語能力はもたないので

「なにも見えません」と答える


( 右脳は、空間や図形を認知し

イメージを組み立てる機能をもつ )






図は、Nature ダイジェスト 「分離脳」が教えてくれたこと より




②の場合、左視野に、林檎を置くので

情報は、右脳へ行きます


右脳は、林檎が見えていないわけではありません


脳が分離されているので

右脳の情報が、左脳へと行くことがないのです





ここで、のちに解説する

トリックに関わってくる重要な点を書いておきます



「なにが見えますか?」と聞かれて

「なにも見えません」と答えるのは


右脳の情報が、左脳へと行くことがない =

左脳に、情報がない からです


質問者と会話できるのは、左脳だけなので

左脳に、情報がないと

患者(左脳)は、「なにも見えません」と答えるのです



≪質問者と会話できるのは、左脳だけ≫

これ、とくに重要です




なお、≪右脳は、林檎が見えていないわけではない≫

これは、つぎの②の応用実験から明らかです



②の応用実験です


左視野に、林檎を置く

情報は、右脳へ行く


質問者: 「なにが見えますか?」と聞くと

左脳: 「なにも見えません」と答える


ところが

質問者: 「今、見ているものを、左手でつかんでください」

と指示すると


患者(右脳)は、ちゃんと林檎をつかむことができる




すごく不思議な話に聞こえますよね


「なにも見えません」なのに

ちゃんと林檎をつかむことができるわけですから・・・





図は、Nature ダイジェスト 「分離脳」が教えてくれたこと より



なぜ、なにも見えていないのに

林檎をつかむことができるのでしょうか?


前述したとおり

「なにも見えません」は、左脳です


右脳は、何を見たかを答えられないだけで

林檎が見えているわけですから

「今、見ているものを、つかんでください」

という指示を実行できたのです




なお、ガザニガは、右脳は

意識レベルにおいては「見えない」が

無意識レベルでは見えていて


分離脳患者は、無意識レベルにおける認識を

絵に描くことができるといったような実験結果を示していますが

これはのちに述べます





つぎに①の応用実験になります


右視野に、林檎を置く

情報は、左脳へ行く


質問者: 「なにが見えますか?」と聞くと

左脳: 「林檎が見えます」と答える


質問者: 「今、見ているものを、左手でつかんでください」

と指示をしても


患者(左脳)は、林檎をつかむことができない



これは、左脳は、右半身をコントロールしていて

左半身は、コントロールしていないので


左手で林檎をつかむことはできないのです




以上の実験結果により

左脳と右脳が独立している事実が分かるわけですが


それにより

左脳と左脳に、それぞれ 心(意識)・人格・自己が存在している

≪二人の私がいる≫とか


左脳が、意識を決定づけているとして

≪ホントの私は左脳である≫とか いった主張がなされています



但し、「意識」は、脳全体のネットワーク機構より生じている

という考えが主流のようです


要するに、脳全体のネットワーク機構より

1つの意識(人格)に統合され、現れているということです





ここで注意すべきは

脳梁を断ち切った ≠ 視交差を断ち切った

ということです




図は、MSDマニュアル 視覚路をたどる  より


左目で見た映像と、右目で見た映像を

脳で統合した映像が、両眼視野に置かれた物体です



分離脳患者であっても

視交差が断ち切られたわけではないので

ふつうの人と同じに、左の視野の情報は右脳に入り

右の視野の情報は左脳に入ります



ふつうの人の場合は

上の図のように別々の情報が、1つに統合されます


我々は、この統合された情報(認識)に対し、価値を判断します


そして価値判断の結果が「感情」という意識です




ここでも注意すべき点があります


『分離脳』で語られている≪意識≫というのは

事物に対する【認識】にすぎないということです



価値とは、評価の概念に対し

認識は、真理(これは〇〇である)の概念です



ちなみに、我々の情報の83%は視覚から得ている

と言われています

( 視覚:87%、聴覚:7%、触覚:3%、嗅覚:2%、味覚:1% )




話を戻すと

脳梁でつながれていない分離脳患者においては

左右の脳で、情報が共有されることがない →

意識(認識)が統合されない はずです



なので、分離脳患者には

2つの意識が存在すると考える「二重モデル」があるのです



ところが、 ≪ 分離脳手術は行っても

患者の多くは、手術前と手術後の違いを自覚することがない≫


≪また、問題がある患者でも

通常、時間の経過とともに、動作を1つにまとめられる≫


こうした事実から

意識は1つに統合されていることが言えます



分離脳患者だからといって

A子さんを見て、右脳は「美人だな」と認識し

左脳は「ブスだな」と認識するなどということはないのです



ちなみに「美しい」「醜い」は

基本、知覚ですが、価値としての言葉としても使われています


ここでは、知覚であることを前提として語っています



この知覚(認識)に対し、「心地よい」と感じたり

「心地よくない」と感じるのが、価値 = 感情 です




再び話を戻しましょう


いずれにしても分離脳患者においても

意識が統合されているという事実があるわけです



なので、「二重モデル」を認めた上で

左右の脳が、出来事という資源に対し

そのつど注意を競い、奪い合い、勝利した方の意識経験が


意識の基盤となり、単一の意識の流れを形成する

という「スイッチモデル」なんかもあるようです



ただ、単一の意識になる前の意識

って無意識じゃないの? と反論したくなりますよね・・・・





ガザニガのこんな動画をみつけました






YouTubeにもアップされていました

https://www.youtube.com/watch?v=VqNkoiScY2E



ジョーは、≪今の私の左脳半球と右脳半球は

互いに独立して動いています  でも自分では気づきません

それに適応してしまうのです

前と変わった感じは、どこにもありません≫と述べています



7年前に手術をしたと語っています

おそらく30代すぎて手術しているのではないでしょうか



動画によると

左脳が認識した画像(ハンマー)は、言葉にできるが

描くことはできない


右脳が認識した画像(ノコギリ)は、言葉にできないが

描くことができる ということになります



患者が、ハンマーを描けない

というのは、前述した①の応用問題と一緒です


左脳の情報(ハンマー)は

左脳が、左半身をコントロールしていないので

左手では描けないのです




「スイッチモデル」では

≪左脳と右脳で認識(意識)を争う≫ということですが


この動画からすると、 優勢の法則があるようです



ノコギリとハンマーが左右に並んで表示され

ガザニガは「なにが見えますか?」と、患者に聞いています


すると患者は

左脳(右視野)の情報から、「ハンマー」と答えます

このとき右脳(左視野)の「ノコギリ」は、無視されています



一方、絵を描くと

今度は、右脳のノコギリだけが描かれ

左脳のハンマーは無視されています



患者の左脳にハンマー、右脳にノコギリ

といった情報が入っている状態で


言語では、左脳の情報(ハンマー)が優勢となり

動作では、右脳の情報(ノコギリ)が優勢となるのです



但し、これはあくまで左手で書くからです


右手で書くなら、左脳のハンマーが描かれ

言語も動作も左脳が優勢ということになるでしょう


(右脳は、右半身をコントロールできない)




また、ガザニガは、患者が無意識的に

フライパン、車、ノコギリの絵を書くことを根拠に


≪無意識はとても強力で、意識に影響を及ぼしている≫

と語っています




そもそも「無意識」とは「潜在意識」のことで

2つに分けられるようです



1つは

「表層意識では気づいていないが

自分の言葉や行動に大きく影響を及ぼしている意識」


トラウマが関わる行動なんかがこちらでしょう


野球で、頭部にデッドボールを受けてから

内角の球が打てなくなった


ボクシングでハードパンチャーのパンチで

眼窩底骨折してから慎重になってしまった


これらは意識では「なんともない」と思っていても

無意識が記憶しているということです




もう1つは


人前で話をしようとすると緊張してしまう

タバコやギャンブルをやめたいと思っていてもやめられない

痩せようと思っていても本気でダイエットに取り組めない

眠りたいのに眠れない といったコトです



つまり、意識しすぎて緊張してしまったりするわけですから

無意識というより

意識ではコントロールできない強い意識という感じです




我々は意志によって

行動していると信じていますが


一般に意識と呼ばれている顕在意識は1割にすぎず

9割が潜在意識(無意識)であるという話さえあります



なので、意識や意志の力で

潜在意識は、治めることはできないと言われています





ガザニガの動画では

患者の≪無意識≫(潜在意識)が

フライパン、車、ノコギリの絵を書いたことになっていますが


幸福の科学とかの教祖がする

≪自動筆記≫(神仏が憑依して書かせている)と

よく似ているように思えます(笑)





それと、ガザニガは

≪意識(心)の最終ステージは、左脳である≫

≪左脳がつくった理論が自己と世界である≫

と言っていることから


彼は、左脳 = 自己 = 人格 と考えていたと言えます




なぜ、左脳が言葉にする「ハンマー」は意識であって

右脳の描く「ノコギリ」は無意識と言えるのでしょうか?


これは、ガザニガの考えが

≪認識(意識)の最終ステージは、左脳である≫なので


右脳の認識が「無意識」

左脳の認識が「意識」にされたのだと思います




左視野(右脳)の認識の場合

ガザニガは「なにが見えますか?」の質問に対し

「なにも見えません」なのに、絵を描ける


だから、右脳の認識が「無意識」ではないのですか?



ガザニガのインチキに、はまっていますよ!!

前述したように「なにも見えません」は左脳の解答です



要するに、左脳は、言葉という言語で解答し

右脳は、動作(絵を書く)という言語で解答している


なので、どちらも≪意識≫です





さて、以上の『分離脳』も、近年、再現性が怪しい

とされているようです



ただ再現性の以前に、論理がめちゃくちゃです

それを説明していきます



②の場合


質問者: 「なにが見えますか?」と聞くと

左脳: 「なにも見えません」と答える


質問者: 「つかんでいるものはなんですか?」と聞くと

左脳: 「なにをつかんでいるのかも分かりません」と答える



質問者の言葉を理解し

会話できるのは、左脳だけなのです


なので左脳に、情報がない場合は

「なにも見えません」

「なにをつかんでいるのかも分かりません」と答えるのです



ということは

「今、見ているものを、左手でつかんでください」とか

「今、見ている画像を、左手で描いてください」とか

いう指示を、左脳が理解しても


その理解したことを

どうやって右脳へと伝えるのですか? ということになります


脳梁が断ち切れているので、右脳に伝えることはできないはずです



なので

「今、見ているものを、左手でつかんでください」とか

「今、見ている画像を、左手で描いてください」とかいう指示を

実行することは不可能です





但し、アリストテレスさんの動画や

この図にあるように、右脳も単純な言語は理解できるようです





図は、看護rool 現場で使える看護知識

右脳と左脳はどう違うの?

https://www.kango-roo.com/learning/3720/  より




ということは

「今、見ているものを、左手でつかんでください」とか

「今、見ている画像を、左手で描いてください」とかは

右脳にも理解できる単純な言葉なのでしょうか?


これを検証していきましょう



まずは、ダマされやすいポイントを解説しておきます



ガザニガの動画では、患者は

こんな単語(PAN)すら「見えません」と答えています






言葉で答えることはできないが

絵で、PAN(フライパン)を描いています







ガザニガの「なにが見えますか?」

という質問に対し


動画に登場する患者のジョーは

「見えません」と答えています



ガザニガの質問の意味を理解して

返答しているのは、彼の右脳ではありません 左脳です




①の実験と同じで

左視野のPANは、右脳に入り、左脳には入りません



前述したように


「なにが見えますか?」と聞かれて

「なにも見えません」と答えるのは


右脳の情報が、左脳へと行くことがない =

左脳に、情報がない からです


質問者と会話できるのは、左脳だけなので

左脳に、情報がないと

患者(左脳)は、「なにも見えません」と答えるのです




ここから、本題の

「今、見ているものを、左手でつかんでください」とか

「今、見ている画像を、左手で描いてください」とかは

右脳にも理解できる単純な言葉なのでしょうか?

についてです




患者の左脳にハンマー、右脳にノコギリ

という情報が入っている状態で


言語では、左脳の情報(ハンマー)が優勢となり

このとき右脳の情報(ノコギリ)は、無視される (答えられない)


動作では、右脳の情報(ノコギリ)が優勢となり

このとき左脳の情報(ハンマー)は、無視される (描かれない)



ガザニガの「なにが見えましたか?」に対しては

右脳の情報(ノコギリ)は無視されるわけです



ならば同様に右脳が

「今、見ているものを、左手で書いてください」 と

いう言葉を理解できたとしても


右脳の情報(ノコギリ)は無視されるはずです → つかめない



要は、右脳が

単純な言葉を理解できようができまいが関係ないのです


ガザニガの理屈からいうと

言語で聞かれた場合、優勢の法則から

右脳の情報(ノコギリは、無視されるはずです





いやいやちょっとまってくださいよ

反論があります


【 さっきあなた言いましたよね


ガザニガの「なにが見えましたか?」に対して

左脳は、言葉という言語で「見えない」と答え

右脳は、動作(絵を描く)という言語で答えているだけだと



ガザニガは2つの質問をしているように感じるけど

同じ質問を左脳と右脳にしているだけで


本質的には質問は1つのはずです



そして、言葉という条件において、「ノコギリ」が無視され

動作という条件において、「ハンマー」が無視されている

というだけです


どちらも本質的には無視されてはいない


なぜなら、同じ質問をして、左脳も右脳も解答しているからです 】


という話に、当然、なりますよね



とはいえ、≪言葉という条件≫において

右脳の「ノコギリ」が無視されるのです





では

「今、見ているものを、左手でつかんでください」

を、≪右脳でも理解可能な単純な言葉≫と定義しましょう


すると、【 右脳は、言葉を理解して (質問の意味を理解して)

≪つかむ≫という動作ができる 】ということになる


前述のように、これはおかしいです


右脳で理解可能な単純な言葉であると言っても

言語能力については、あくまで左脳が優位です



言語では、左脳の情報(ハンマー)が優勢となり

このとき右脳の情報(ノコギリ)は、無視されるのです



なので右脳の判断は排除されるはずです → つかめない




ここで百歩譲って

≪言語左脳優勢の法則≫を無視して

右脳によって、患者はつかむことができる としてみます


それでも

同時に左脳の判断もなされなければおかしいです



患者は、左手でつかむという動作をする(右脳)とともに

「左手を動かすことはできません」(左脳)と答えるはずです

(左脳は、左半身をコントロールできない)









アリストテレスさんの動画に

【 右脳に「笑え」と書いた文字を見せた場合

右脳は、単純な文字なら理解できるようで、笑うことができる 】

とあります



アリストテレスさんと、ガザニガの動画とで

決定的な違いは、ガザニガの場合、言葉による伝達なので

情報が、耳を通して左脳にも入るということです



ガザニガの場合でも

左脳に情報に入れたくないのであれば

「今、見ているものを、左手でつかんでください」 とボードに書き

左視野に置き、左脳脳には見えないようにしなければなりません




右耳で聞いた音の大部分は、左脳に入ります





ちなみに人の感覚と脳.は基本的に交差していますが

嗅覚は、例外的に交差しておらず、右嗅覚の情報は右脳に

左嗅覚の情報は左脳に伝わるそうです





また、右脳が理解可能な「単純言語」について

ネットで調べてみましたが、どこにも見つけることができませんでした


ガザニガやアリストテレスさんの動画からすると

結局、「PAN」とか「笑う」とかいった単語を指すのだと思います



ちなみに、アリストテレスさんの動画の「笑う」の元ネタは

脳科学者 池谷裕二著 単純な脳、複雑な「私」

だということは分かりました




動画では、ガザニガは

「目を閉じて、左手で、今、見たものを書いて」

と指示しています


≪目≫ を ≪閉じよ≫

≪左手≫ で ≪今≫ ≪見た≫ ≪物体≫ を ≪書け≫


7つも単語が入っていますよ!!


明らかに、単純言語ではないでしょう




決定的なことを言うと


【 脳は、無意識では、見えているし

質問の意味も理解している  だけど、会話ができない


要は「なにが見えましたか?」に対し

言葉という言語で返答できない


でも、動作という言語で返答できる 】



これもおかしいのです



≪右脳に、言語能力はない≫とは

【言葉を理解したり、組み立てる能力がない】ということのはずです


これに関しては、右脳は「なにが見えましたか?」

の意味を理解しています (だから絵に描ける)


ならば、あとは、唇や舌や喉を動かして音(声)を発する動作です

右脳の得意な≪動作≫です



なので「なにが見えましたか?」

左脳 → 見えません

右脳 → 見えます 林檎です となり



ここで、動作の場合、右脳の判断が優先されるので

「見えます」「林檎です」 となるはずです



そうならないということは

「なにが見えましたか?」は、複雑な言葉で

右脳では理解できない ということしかあり得ません



「なにが見えましたか?」が、複雑な言葉ならば

「目を閉じて、左手で、今、見たものを書いて」も

当然、複雑な言葉なはずです




そこで、右脳が

「目を閉じて、左手で、今 見たものを書いて」

という言葉を、理解できなかったとします


つまり

「目を閉じて、左手で、今 見たものを書いて」

が、単純な言葉ではなく、右脳では理解できなかったとします



これを、ジョーの左脳は理解できますが

その理解をどのようにして

右脳へと、伝えているのですか? ということです



「今、見ているものを、左手でつかんでください」 と同様に

「今、見たものを、左手で書いてください」をどのようにして

左脳に伝えるのてすか? ということです




「目を閉じて、左手で、今 見たものを書いて」

左脳には、左半身はコントロールできないとすると


絵を書くことができないどころか


左のまぶたを閉じるのこともできないのではないのですか?

という疑問が起こります



これに関しても調べてみたところ

≪右脳が左顔の筋肉を

左脳が右顔の筋肉を動かす仕組みになっているが

これは顔の下半分だけである


おでこや目元に関して左右交差していない

左右どちらか一方の脳から出た指令だったとしても

左右両方の筋肉が動いてしまいやすい≫とありました






なお、脳の機能は

完全に分化されているわけではないようで

左は、言語能力にたけている(優位である)

右が表象(イメージ)能力にたけている

ということであり、左脳も右脳も両方の能力をもつようです



公務員試験 H27年 国家一般職(行政) No.63解説

https://yaku-tik.com/koumuin/h27-gyousei-63/ 

にこうあります


【 分離脳の実験からも分かるように

脳は左と右で得意とする能力が異なります

しかし、これはあくまで"得意"・"優位"というだけであって

"何らかの能力が全く無い"ということではありません

重要なのは脳梁が左右を繋ぎ、情報を共有することで

正確な知覚・認知が瞬時に可能となっているということです 】





「今、見ているものを、左手でつかんでください」

「今、見たものを、左手で書いてください」といった言葉を


右脳は理解できず、左手を動かせないとしたらどうですか?



≪患者の多くは手術前と手術後の違いを自覚することがない≫

≪また、問題がある患者でも

通常、時間の経過とともに、動作を1つにまとめられる≫という事実


ジョーの≪前と変わった感じは、どこにもありません≫という話


とのあいだに、矛盾が生じます




これを解決するには

≪右脳の言語能力は、考えられているよりずっと高い≫

と考えるか


≪脳梁が離断されても、左脳とどこかで連絡できている≫

と考えるか のどちらかしかないはずです











脳梗塞などによって失われた脳の機能も

効果的なリハビリテーションによって

機能回復につながることがわかってきているようです


これは、反対側の脳の神経のつながり方が変わることで

失われた機能を「肩代わり」するからだそうです


自然科学研究機構 生理学研究所

https://www.jst.go.jp/pr/announce/20090812/index.html



ならば、7年も前に手術を行った

ジョーの右脳の言語能力は、左脳なみになっていたとしても

おかしくありません



だとしたらガザニガの実験って

そもそも意味があるのだろうかということになりますが


これは置いておくとしても


前述したように

左脳なみに回復したジョーの右脳は

言葉を理解できるが


唇や舌や喉を動かして音(声)を発する動作はできない

というのは矛盾します






実験に話を戻しましょう


さらに以下のような実験結果も語られています


②の応用の応用で

前提1: 患者(右脳)は、左手で林檎をつかんでいる

前提2: 左脳に林檎の情報はない →

「なにをつかんでいるのかも分かりません」



質問者: 「なぜ、林檎をつかんでいるのですか?」

左脳: 「美味しそうだから」と、つじつまを合わせする



この実験結果は

左脳が、真の自己、ホントの自分であるという主張に対し


≪左脳だって、つじつま合わせをするようなあやふやな存在だ≫

という反論するためのものです



しかし

質問者: 「つかんでいるものはなんですか?」と聞くと

左脳: 「なにをつかんでいるのかも分かりません」と答える

のに


質問者: 「なぜ、林檎をつかんでいるのですか?」

左脳: 「美味しそうだから」と、つじつまを合わせをする

というめちゃくちゃな話です



そのまえに、もともとの前提 (右脳に言語能力はない) だと


前述したように

「今、見ているものを、左手でつかんでください」

に、右脳は対応できません


なぜなら、言語を理解できるのは、左脳だけだし

その左脳とのケーブル(脳梁)が断ち切られているからです





下の図だと

右脳が、「なにも見えません」

と答えているように見えます





( 視野とは、眼を動かさずに

見ることができる範囲をいうので

患者は、中心の点を見ています )



「なにが見えますか?」と聞かれて

「なにも見えません」と答えるのは、左脳です



それに上の図だと、「顔」という文字を

右脳が得意とする図形としてではなく

意味をもつ言葉として理解し、絵に変換して描いています


「右脳、めちゃくちゃ言葉を理解していますね!」

という話になりますよ




これが正しいはずです





「今、見ているものを、左手でつかんでください」」

に、右脳は対応できません


なぜなら、言語を理解できるのは、左脳だけであるし

その左脳とのケーブル(脳梁)が断ち切られているからです





質問者の「なにが見えますか?」に対し

右脳の「なにも見えません」であるならば


右脳は、相手の言葉を理解しているし

状況を「なにも見えません」という言葉にして

返していることになってしまいます


つまり、ちゃんと会話できていることになってしまいます



「今、見ているものを、左手でつかんでください」に対し

林檎をつかむことができるなら、右脳は言葉を理解しています



また「つかんでいるものはなんですか?」に対し

「なにも見えません」とか

「なにをつかんでいるのかも分かりません」とか

返答するのが、右脳だとすると


右脳は、自ら言葉を組み立てて、返答もしている

= 自分の意識を伝えている

= 発話している ということになってしまいます




なのでこれは間違えです






下が正しいです









ガザニガの主張をまとめておくと


右脳においては

意識レベルでは「見えない」が

無意識レベルでは「見えている」

だからつかむことも、絵に描くことできる



一方、本人(左脳)の意識においては

なにも見えないし、なにをつかんでいるのかも分からない


ということです





この『分離脳実験』の嘘は

右脳の判断が【無意識】によるものと錯覚させているところです



ガザニガの最大のトリックは


「なにが見えましたか」 → ハンマー (ノコギリは見えていない)

「今、見たものを、左手で書いてください」 → ノコギリを描く


これによって、右脳があたかも【無意識】で

絵を描いているように思わせているところにあります



ノコギリが見えていないのは、左脳であって

右脳は、ノコギリが見えているのです



トリックを見破るには

ガザニガは2つの質問をしているように感じますが

同じ質問を左脳と右脳にしているだけというのを理解することです



前提: 左脳(右視野)では、ハンマーを見ている

前提: 左脳(右視野)では、ハンマーを見ている



この状態で

左脳には「なにが見えましたか」と質問し、ハンマーと解答させる


右脳には「今、見たものを、左手で書いてください」

と質問し、ノコギリと解答させる



左脳には、言葉という言語で解答させ

右脳には、動作(絵を書く)という言語で解答させる



『分離脳実験』とは、それだけの話です



なので、どちらの解答も≪意識≫なのです




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