「心の哲学」の嘘を暴く!! コンピューターに常識はない



 心と存在


「心の哲学」の嘘を暴く!!


 




コンピューターに常識はない



酔恭  人工知能が人間の頭脳と

同じレベルに到達できるかどうかだけど

記憶することなら

今でもコンピューターはヒトの頭脳をはるかに超えている

小さなメモリーカードが膨大な情報を記憶するのだから


計算能力もヒトの及ぶところじゃない



1997年にはIBMのコンピューター「ディープ・ブルー」が

当時のチェスの世界チャンピオンに勝ったり


2010年には4つの国内将棋プログラムによる

合議システム「あから」が

当時の女流王将と対局し勝利していることからすると


ものごとを論理学的、理論的に考える能力も

すでにヒトを超えているのかもしれない



じゃなぜ、ジョン・サールが論じた

「中国人の部屋」のようなレベルにとどまっているのか?


人間の指令をこなすだけの存在にとどまっているのか?

ということになる






竜太  デイビット・チャーマーズも

ジョン・サールも、ダニエル・デネットも

何か重大な考え違いをしているような気がするけどね・・・


それは、彼らが 人間の知能が

コンピューターより優れていると

思い込んで論理を展開していることだね


コンピューターのできることは

一連の作業と、その応用で

コンピューターには「範囲」の指定ができないよね



酔恭  範囲?




竜太  つまり、人間のように生活レベルで考えるような

「範囲」の指定ができない


だから人間は、人間の生活レベルで判断するのに対して

コンピューターは宇宙レベルで判断する


その意味では、コンピューターの人工知能は

すでに人間の頭脳を超えているよ




竜太  人間の判断は、これまでの生活における

経験を基準としている


過去の経験に基づいて

「これはこうである」と判断するでしょ


例えば、見た目が恐そうな人と目があったら、そらすとか…

個人的な価値観や倫理観にもとづく判断がすべてだ



でも、それって

不確定要素をもった人間という存在の判断でしかない

経験則による判断でしかない



これに対して、コンピューターは宇宙レベルで判断する

つまり、人間の知能とコンピューターの人工知能では

判断の物差しが違うから、比べることができないとも言えるよ




酔恭  人間の頭脳なみの人工知能が作り出せない

という意味は

人間は、いまだ人間レベルで判断する

人工知能を作ることができないということだな






竜太  それからいまのは「価値の判断」のレベルの話だけど

「真理の判断」のレベルでも、明確な違いがあるよ


人間の知能は「常識」という判断を持つ


例えば、ある喫茶店で、コップに氷を浮かべたお冷(=水)

そっくりの液体が出されたとする


本当は水ではなくアルコールであったとしても

100人のうちおそらく99人までは「水」だと信じて口に運ぶでしょ


これが常識(大多数の人の共通の判断)だね



じゃ、酔恭さんに質問します

コンピューターは、このコップの液体をなんと判断するでしょうか?



酔恭  うーん 宇宙レベルで判断するんだから、酸素と水素かなぁ

「何%は水である」とか・・・



竜太  違います アンノウン(不明)と答えるんだよ

答えが出せないんだよ



酔恭  なんで?



竜太  コンピューターの人工知能は

宇宙レベルで思考してしまうからだよ



酔恭  「このコップの中の液体はなんですか」という質問に

人間は経験則に従い「それは水です」と答える

これは、生活レベル、常識レベルの思考だな


これに対し、宇宙の法則に従って

膨大なデータから論理学的に思考すれば

当然、答えは「アンノウン」となるというわけだ





竜太  我々の「これは水だ」という判断は

「常識」からくるものでしょ


人工知能が、人間の生活レベルで思考するもの

不確定要素を含んだものではなく

宇宙レベルで考えるものであるとしたら


コンピューターの世界に「常識」や

「パラダイム」(しきたりやしがらみ)というものは生まれない



酔恭  どうして?



竜太  宇宙レベルで考えるということは

どのコンピューターも一律の答えを導き出すからだよ


「常識」とは、まずは「個」(私たち1人1人)の判断が前提にあり

そのうちの大多数の判断をいう


つまり少数派があってはじめて成立するものなんだよ


そうなると、答えが一律だということは

コンピューターの世界には「政治」も必要ないし

「革命」も存在し得ないというになる(笑)






酔恭  では、逆に

我々の頭脳の方を、人工知能に近づけていくとしたら

どのようなことが必要だろう?



竜太  人間には

多くのバイアス(認知バイアス)があるというよね



酔恭  バイアスとは≪偏り≫の意味で

自分の先入観を補完しようと

自分に都合のよい情報だけを集めてしまう≪確証バイアス≫


いったんある決断をすると、その後に得る情報は

決断した内容に対して、有利に解釈しちゃう≪追認バイアス≫


なんかがあるという



竜太  バイアスに陥るのは、感情で判断するからだね


株で成功する人は

思考のバイアス(偏り)を排除できている人だというよ



とはいえ、人間である以上

どんな優秀な人であれ、ある程度バイアスがかかってしまう

どんな優秀な評論家の話であっても、多少のバイアスは認められる



これは、人間である以上

誰しも自分を正当化したいという意識があるので

完全にものごとを客観的にみる

なんてことは不可能だからと言える




その点、人工知能には、バイアスがないし

膨大のデータ、情報をもとに計算するから

より正確な答えを導き出せるよね



だから、我々の思考を人工知能に近づけていくとすると

バイアスを排除していくことだと思うよ



これは会社経営なんかでは

とくに重要で


経営者は、ときどき部下に

「自分の考えに、偏りがないか?」

「自分の思考に、バイアスがかかっていないか?」

を問うことで

失敗を少なくしていけると思うな・・・・




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